合唱

 もう一つ、本校の生徒たちが伝統として受け継ぎ、誇りとしているものに「合唱」があります。一年中を通して、校舎内に歌声があふれています。
 本校では、1年間を通し、毎月1回、生徒会合唱委員会が中心になって「合唱朝会」を行っています。合唱委員や3年生リーダーが前に立ち、発声練習から始まり、学年合唱や全校合唱などを披露しあいます。合唱の後は反省点を述べ合ったり、先輩から後輩へアドバイスがあったり、とても充実した朝会です。4月に入学した1年生が、先輩たちの真似をしながら、本格的な発声練習をしている姿を見ると、「中学生らしくなってきたなあ。」と微笑ましくなります。

 全校合唱では、令和元年度は「信じる」、「群青」などに取り組みました。「群青」は、曲が生まれた背景(福島県南相馬市立小高中学校のこと)などについても学びます。きれいなソプラノや重低音のバスが響く全校合唱の「群青」を聴いていると、胸が熱くなります。
 また、令和元年度は、令和2年3月の東日本大震災アーカイブ語り部シンポジウム「かたりつぎ」に向けて「camellia〜椿のうた〜」にも取り組みました。これは、素敵なアカペラユニットXUXU(シュシュ)とコラボで歌った曲です。当日は新型コロナウイルスの影響で全校生徒がステージに立つことはできなかったのですが、事前練習のビデオ映像(学校の体育館で撮影)を流していただいて、XUXUの皆さんと歌うことができました。これも忘れられない思い出になりました。

 令和元年度は特筆すべき曲がもう1曲生まれました。本校の昭和42年度卒業生で作る「舫いの会」(代表:里神淳氏)が中心となった同窓生たちが、母校や古里に対する熱い想いを歌という形で創り上げた曲「坂を登れば」という曲です。作詞は42年度卒業生の菊池文雄氏です。この曲の合唱バージョンに、令和元年度全校で取り組み始めたのです。そして、8月30日に「桑原裕子さんのコンサート」と一緒に、初めて全校合唱という形にしました。令和元年10月27日の文化祭では、客席があふれるほどの保護者や地域の皆様、同窓生の皆様に披露し、たくさんの拍手をいただきました。明神前の坂の上にあった旧校舎、永沢の坂の上にある現校舎。同じような坂の上にある母校校舎に対する想いは、74年間のどの時代の大中生にとっても同じです。昭和の時代の大中生が創った歌『坂を登れば』を令和の時代の大中生が歌う・・・なんて素敵なことでしょう。「大中賛歌」、「第二校歌」とも言える曲です。大切にしたい曲の一つになりました。「舫いの会」の皆様、同窓生の皆様、ありがとうございます。

 令和2年度は新型コロナウイルス感染症のため、多くの教育活動も影響を受けました。しかし、本校の職員も生徒も「誇りとする合唱をなくしてはならない」と、さまざまな工夫をしながら歌い続けました。互いの距離をとり、マスクをし、時にはマスクの上にフェイスシールドを着けて歌いました。令和2年度は「結」、「群青」、「坂を登れば」などに取り組みました。文化祭二日目のリアスホールでの全校合唱「群青」は、見事としか言いようがないほどのハーモニーでした。多くの保護者の皆様がハンカチで目頭を押さえていました。卒業式では、在校生が「坂を登れば」を歌い上げ、「僕たち・私たちがこの曲をこのとおりしっかり引き継ぎます」という姿勢を卒業生に見せてくれました。

 特筆すべき出来事として、令和2年8月の「MJC(Minamisoma Junior Chorus)アンサンブル」(金子洋一代表)との交流があげられます。
 東日本大震災で学区の約半分が津波で甚大な被害を受けた本校は、上述したように「群青」を大切に歌い続けています。この曲は、東日本大震災と福島第一原発事故の後、福島県南相馬市立小高(おだか)中学校の音楽科の小田美樹先生が、ほとんどの生徒が転校していった後、わずかに残った生徒たちのつぶやきを繋げて創った合唱曲です。全国に散り散りになった同級生たち。「〇〇さんはどうしているだろう」「〇〇市はどんな所なんだろう」「遠いね」「どうやったら行けるの」「でも、この地図の上の空はつながってるね」そんな言葉が歌詞になっています。
 その小高中学校合唱部が元になっている女声合唱団「MJCアンサンブル」の皆さんが、「私たちの『群青』を大切に全校で歌い続けているという大船渡中学校という学校を訪れてみたい。」と、令和2年8月23日(日)にイベントで大船渡を訪れた際に本校に立ち寄ってくれたのです。1時間程度の短い交流で、中庭で『群青』を2回一緒に歌っただけで終わってしまったのですが、MJCアンサンブルの女の子たちと、本校有志の生徒たちの間には、歌を通して確かな繋がりができたと感じました。これからも大切にしていきたいと思っています。

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